東京高等裁判所 昭和45年(う)1311号 判決 1971年4月16日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は弁護人上条貞夫同松沢清共同名義ならびに被告人名義の各控訴趣意書記載のとおりであるからこれらを引用し、これに対し当裁判所は次のとおり判断する。
第一弁護人の控訴趣意について。
所論の要旨は次のとおりである。すなわち、
原判示第一ないし三の、被告人が吉田建材興業株式会社鬼石出張所長鈴木邦夫から賄賂を収受したとの各事実について、原判決は、鈴木邦夫の本件控訴事実にそう趣旨の供述(同人の検察官に対する昭和四二年九月一日付供述調書ならびに原審公判廷における相被告人および証人としての各供述。以下これを一括して鈴木供述という。)と、被告人の警察検察庁における自白調書を基本として被告人の各収賄の事実を認定したけれども、右鈴木供述は多くの虚偽と矛盾に充ち、とうてい信用できないし、被告人の自白は捜査官の強制的な誘導によるものでありまた内容が客観的事実に反しているので任意性がないとして、それぞれの理由をおおむね後記(鈴木供述につき一(1)ないし、(5)、被告人の自白につき一(6)ないし(8))のとおり縷説し、
原判示第四の、被告人が昭和建材株式会社代表取締役三木五千江および同社員中井正治の両名から賄賂を収受したとの事実については、原判決の事実認定の基礎となった被告人の自白調書は、被告人が妻に共犯の疑が及ぶのを避けるため捜査官の誘導に同調して虚偽の自白をしたもので任意性がなく、また三木五千江の検察官に対する供述調書も被告人の自白に合せたもの、中井正治の検察官に対する供述は検察官の誘導によるものでいずれも信用することができないと主張し、
結論として、本件各公訴事実を認めるに足りる証拠はなく、被告人は無罪である。よって被告人を収賄罪に問擬した原判決は、いずれの公訴事実についても証拠の価値判断を誤り、判決に影響を及ぼすことが明かな事実誤認をおかしたもので破棄を免れない、と主張するのである。
よって記録ならびに原審において取り調べた証拠を精査して検討するに、原判決の挙示する各関係証拠を総合すれば、原判示の罪となるべき事実は、水資源開発公団下久保ダム建設所(以下、公団および建設所とそれぞれ略称する。)庶務課資材係長としての被告人の職務権限、各金員授受の趣旨の点を含め、すべてこれを肯認するに十分である。そして、被告人の各自白調書および前記鈴木供述などは本件各犯罪の証明の成否にかかわる重要な証拠であること所論のとおりである。けれども、その余の関係各証拠を精査し、とくに、弾劾証拠としての、鈴木邦夫の検察官(二通)および司法警察員(四通)に対する各供述調書を含め当審における事実取調の結果をも総合して勘案すれば、前記の各証拠は、少なくとも本件各公訴事実じたいの認定資料としていずれも証拠能力、証明力に欠けるところはないものと考える。以下その理由を、弁護人の控訴趣意に現れた各問題点との関連において分説する。
一、原判示第一ないし三の事実(吉田建材興業株式会社関係)
(1) 本件当時吉田建材興業株式会社(以下吉田建材と略称する。)の鬼石出張所長であった鈴木邦夫は、被告人らに対する贈賄容疑で前橋地方検察庁の取調を受けて起訴され、本件の原審相被告人であったところ、同人は検察官に対し、被告人大竹二郎の職務に関して同人に現金を供与したとの、本件公訴事実に照応する事実を自供している。右の自供について、所論は、鈴木は当時太平砂利株式会社鬼石事業所長を兼ねていたところ、木村通男と共謀して一年有余にわたり、右会社の砂利・庭石を現金売りしてその代金合計一千余万円を業務上横領した事実があり、鈴木は、贈賄罪より業務上横領罪の方が法定刑が重いので、捜査官に対し、後者の罪責を免れるため迎合的に前者の事実を自供したもので虚偽の自白である、と主張する。
けれども、証人木村通男、同阿久沢英夫の当審公判廷における各供述を含む関係証拠を検討し、とくに所論が証拠として指摘する証人木村通男(第三回)、同吉田栄弥(第六回)の原審公判廷における各供述を精査するも、いまだ右の如き業務上横領の事実を窺うに足りず、右主張は前提事実を欠き失当である。
(2) 関係証拠によれば、原判示第一、第二の場合はいずれも、鈴木が一万円札三枚および二枚をそれぞれ煙草「いこい」の包装紙の内側にさし入れて被告人に渡したというのであるが、所論は、鈴木供述が、一万円札をさし入れるときの折り畳み方に関し奇妙に変化しており、でたらめで信用できない、また一万円札を「いこい」に入れた場所について、公判では公団の庭で入れたと述べたが、そのようなことはきわめて不自然で、ありえぬことであり、検察官調書では乗用車の中で入れたとあるが検察官の思いつきを押しつけられて述べたにすぎない、というのである。
しかしながら、鈴木供述中関係部分を相互に比較対照して検討するに、一万円札の折り畳み方については、表現の枝葉末節の点では相違するところもあるが、総体的には、自ら体験した事実を、金員授受の際の実情とともに具体的詳細に供述したものとして、十分に措信することができる。「いこい」に入れた場所も、一貫して、乗用車の中で入れたというのであり、原審公判廷においても、検察官の問に対して、いずれも「車の中」と答えた後、松沢弁護人の問に対しては、三万円については「公団の庭です」と答え、二万円については「公団の中に入ってからそういう操作をしたんですか」との質問に対し「車の中でやりました」と答えているのであって、以上の各供述と、証人村岡勇の原審公判廷における供述とをあわせ考えれば、鈴木の「公団の庭で」というのは、「下久保ダム建設所の庭に入ってから車内で」という意味に解するのが至当であって、所論の如き意味での不自然な事実を供述したものと解することはできない。
(3) 鈴木供述において、原判示第一の授受の金額が当初の一万円から三万円に変化したことについて、所論は、捜査官から大竹が三万円と述べているからこれに合せるようにと一方的に押しつけられた結果である、と主張する。
けれども、被告人は捜査段階では一貫して、一万円札で三万円と述べており、この供述の任意性に疑のないことは後述するところによって明らかである。とくに、記録上最初の供述である、被告人の司法警察員に対する昭和四二年八月九日付供述調書においては、「三万円の点ははっきりした記憶ではないから、あとで気づいたら訂正する」旨を述べていることは、右金額の点についても捜査官の誘導や押しつけによるものではなく、記憶のままを任意に供述したものとみることができる。他方、鈴木の原審公判廷における供述によれば、当時、鈴木じしんも金額については記憶が不明確で自信がなかったので、捜査官から大竹が三万円と述べているといわれればそのとおりかと思った、というのであって、それ以上に捜査官から無理に押しつけられて供述を変えたことは証拠上これを窺うことができない。
(4) 本件各金員授受の趣旨について、所論は、鈴木が原審公判廷(第四回)において検察側の意見を押しつけられて迎合的な証言をしているというのである。しかし、鈴木供述は本件金員授受の趣旨がすべて被告人の職務に関するものであるとの線で一貫しており、とくに、原審第四回公判速記録によれば、原判示第一の現金三万円を供与した際の状況に関する検察官の質問に対し、鈴木は、グラウト用セメントの納入に関して被告人に依頼する趣旨であった旨を自発的に供述し、これに引き続き、原判示第二の二万円については、セメントの卸売価格が吉田建材に有利に決定されるよう公団から秩父セメント側に申し入れることを被告人と工藤庶務課長に依頼したその謝礼の趣旨であったこと、原判示第三の三万円についても、グラウト用セメントを吉田建材からできるだけ多く納入させるよう尽力ねがいたいとの気持から供与したものであることを、それぞれ自供しているのであって、これらを含むその前後の尋問・供述には、何らの不自然さも認められない。所論は採用することができない。
(5) 原判示第三の金員授受の日について、原判決は昭和四一年四月下旬ころとしているが、押収にかかる鈴木の大学ノート日記(東京高等裁判所昭和四五年押第五二四号の一二、以下単に日記という)の記載を考慮すれば、右は同月二一日または二五日であると認められるところ、所論は、関係証拠によれば右両日は被告人への旅費支給の記載があるが、これは暫定手当支給のための操作であって実際には出張していないことが明らかであるからアリバイが成立している旨を主張する。
そこで、所論が証拠として指摘する、押収にかかる昭和四一年四月分日帰り旅費整理票、証人西倉正、同高木智恵子の原審公判廷における各供述を総合検討すると、なるほど右両日、被告人に対して旅費支給上日帰り出張の扱とされているのは単なる帳簿上の操作にすぎないことが認められる。他方、日記の同月二一日および二五日の各欄には、大竹氏来所云々の記載があり、これと、鈴木の原審公判廷における供述、被告人の司法警察員に対する昭和四二年八月一日付、検察官に対する同月一一日付各供述調書を総合すれば、右両日とも被告人が吉田建材鬼石出張所を訪ねて鈴木と面談している事実が明らかである。しかし右両日の出張扱が帳簿上の操作にすぎないといっても、被告人が両日とも終日外出もせず勤務庁にあって執務したことを物語るものでないこと、これまた右関係証拠によっておのずから明かである。したがって、所論の指摘する証拠は、被告人が右両日とも吉田建材鬼石出張所において鈴木と面談した事実と何ら矛盾するものではなく、本件金員の授受がその機会に行われたと解しうる以上、所論アリバイは成立しえないこと明らかである。
(6) 被告人の自白調書の証拠能力に関して、所論はまず、原判決が被告人の自白調書を証拠としたのは、刑事訴訟法第三一九条第一項、第三二二条第一項但書に違反する、というのである。
よって記録を調査するに、原審は被告人の捜査官に対する供述調書合計一四通を取り調べ、原判決はその全部を証拠として挙示しているけれども、右のうち原判示第四の事実に関するもの三通(司法警察員に対する昭和四二年八月二三日付、同月二六日付および検察官に対する同年九月一二日付)については、検察官から取調請求のあった際に弁護人において捜査官の強制誘導によるものとしてその任意性を争い、その余の、原判示第一ないし三の事実に関する供述調書はすべてこれを証拠とすることに同意し、被告人もこれについてとくに異議を述べていない。しかし弁護人は原審の最終弁論において右同意書面につきいずれも任意性を欠き証拠能力がないと主張し、控訴趣意においても右主張を繰り返している。
ところで、右のように、検察官から取調請求のあった被告人の供述調書に対し弁護人が証拠とすることに同意し被告人もとくに異議を述べなかった場合は、その供述が任意になされたものであることを是認しその証拠能力を認めた趣旨と解すべきであって、その後に至りその供述の任意性を争うことは前後矛盾した行為であり、特段の事情のないかぎり許されないというべきである。そして本件においては、右の特段の事情につき何らの主張証拠もないから、原裁判所がこれらの書面を証拠能力ありとして証拠に採用したのは正当である。前記原判示第四の事実に関する各供述調書についても、任意性に疑がなく証拠能力を認めうること後記二に述べるとおりであるから、原判決には所論の如き違法は存しない。
原判示第一ないし三の事実に関する各供述調書については、当裁判所は、所論を証明力を争う趣旨に解して、以下(7)(8)においてこれに対する判断を示し、いずれも証明力に欠けることのないゆえんを明かにする。なお所論のうち捜査官の強制、脅迫による自供であるとの趣旨の部分は被告人の控訴趣意におけると全く同様であるから、これに対する判断は第二において説示するところに譲る。
(7) 次に所論は、被告人の自白調書の記載内容に客観的事実に反する事実が随所に盛り込まれていることに徴し、その自白が取調官の架空の筋書に乗ぜられたことが裏づけられるとする。そして、客観的事実に反する記載の実例の第一として、建設所が吉田建材となした五口のグラウト用ポルトランドセメント納入契約、すなわち
昭和三九年四月一一日 仮排水工事関係 三〇屯
昭和四〇年七月二二日 ダム工事関係 三〇屯
昭和四〇年九月一日 同右 三二〇屯
昭和四一年三月一七日 同右 二〇〇屯
昭和四一年四月上旬 同右 二〇〇屯位はいずれも、建設所として、その締結、購入手続、価格の決定などすべての面において、とくに吉田建材に対し特別の便宜を図る余地はなく、好意ある取計らいをした事実もない。また吉田建材としても建設所の側から何ら特別の便宜を受けていないのであるから、贈収賄の動機がそもそも客観的に存在しなかった。被告人の自白調書は、吉田建材昭和建材いずれの関係においても「かねて好意ある取計らいを受けたことおよび将来も同様好意ある取計らいを受けたいことの謝礼」の趣旨で贈与されたものであることが繰り返し記載されているが、明かに前記の客観的事実に反する、と主張するのである。
よって所論にかんがみ考察するに、本件各金員授受の趣旨がグラウト用ポルトランドセメントの納入について吉田建材に対し種々有利な取扱をしたことの謝礼の趣旨であることは、被告人の自供調書の随所にみられること、所論のとおりである。これらの記載部分を、各調書ごとにその余の記載部分と対比し、さらに鈴木邦夫の原審公判廷(第四回)における供述、同人の検察官に対する昭和四二年九月一日付供述調書、押収にかかる日記、水資源開発公団・同下久保ダム管理所から各送付にかかる昭和三九年四月一一日付契約支出決議書他関係書類をも総合して検討すれば、被告人が前記各契約関係事項に関し、吉田建材に対してとくに法規に反してまで有利な取扱をなし、または他の業者に比し不公平に特別の優遇を与えた、とまで解することはできないとしても、少なくとも吉田建材・鈴木邦夫らにとってできるかぎり有利となるよう、その希望にそって適宜且つ円滑に関係事務を処理した事実を認めるに十分である。されば被告人の自供調書中にいわゆる好意ある取計らいとは、右の如き事務処理を被告人の心理の面に即して表現したものと解すべきこと、おのずから明かである。したがって、被告人の自供調書中所論の如き記載は証拠によって認められる客観的事実と符合するものであって、なお(8)に示す実情に徴しても、贈収賄の動機がないとか、捜査官の架空の筋書にすぎないとかいう主張は理由がない。
刑法上いわゆる賄賂は、公務員の職務行為に関する不正の利益であるが、その職務行為は相手方(贈賄者)に対してとくに違法、不公正あるいは非難すべき程度に特別の利益を図る行為たるを要しないこと当然である。もし所論が、右の如き意味における特別の利益を図ることが収賄罪の成立要件であると解し、本件において被告人がそのような利益を図ったことがないから収賄罪にならないとの主張であるとすれば、弁護人独自の見解であって採用のかぎりでない。
(8) 被告人の自供調書中に客観的事実に反する記載があることの実例の第二として、所論は、前記各契約の締結をはじめその内容の決定、変更、セメントの納入などに関して被告人には何らの権限がなく、被告人は単に公団本所または建設所の所長、課長ら上司の決定と指示とに基き事務を処理したにすぎず、鈴木としても、贈賄したとて何ら便宜を受けることは期待できなかったし、そのことは鈴木もよく知っていた。被告人の自供調書に、被告人が業者の生殺与奪の権を握っていた、などとあるのは、右の客観的事実に反し全く捜査官の作った架空の筋書にすぎない、と主張するのである。
よって検討するに、被告人の職務権限に関する原判決挙示の証拠を総合すれば、被告人は、前記五回にわたるグラウト用ポルトランドセメント納入契約に関し、その取引業者の選定、契約の締結、価格の決定、契約内容の変更等に関し独立の決定権限を有してはいないが、それらの準備のため、および決定された事項を上司の命により実施するために、上司への意見具申、調査報告、予定価格の積算、各関係書類の作成、入札・随意契約の立会、納入品の検収、関係業者との連絡交渉などを行う職務権限を有していたことが明かである。
被告人の自供調書中に現れた同人の職務権限に関する記載も、右に認定した程度と内容以上でも以下でもなく、被告人は、かかる職務権限に基き前記(7)認定の如く事務処理をしていたのであるから、鈴木が賄賂を贈って業者としての便宜利益を受けることを期待したのも理の当然であって、さればこそ鈴木ら業者が被告人の意を迎えるに努め、被告人もまたその誘惑に押れて酒食の饗応を受けていた実情が関係証拠の随処から窺われるのである。中に、被告人が「これら業者の生殺与奪の権を握っていた」とあるのも、用語としては誇張にすぎ適切を欠くとしても、事柄の実態を穿った表現とみるべきであろう。
それゆえ、被告人の職務権限と業者の期待云々の点に関しても、被告人の自供調書の記載はまさに客観的事実に照応するものというべく、捜査官の作った筋書とみるべき余地は存しない。なお刑法賄賂罪にいわゆる職務とは、公務員がその地位に伴い公務として取り扱うべき一切の執務をいい、その公務員が独立した権限を有せず上司の指揮のもとにその命を受けて取り扱う事務であってもすべて包含される。(昭和二八年一〇月二七日最高裁判所第三小法廷判決、判例集七巻一〇号一九七一頁参照。)所論は、被告人には前記各契約に関して何らの権限がなかったことを力説するけれども、独立の決定権限がなければ収賄罪が成立しないとの見解であるとすれば、その誤れること明かである。
二、原判示第四の事実(昭和建材株式会社関係)
所論の要旨は前記(本判決第一冒頭)のとおりであるが、とくに、被告人が本件一万円を受け取った翌日全額を返還したのが真相であるから、被告人がこれと反する自白をしたのは捜査官の架空の筋書に乗ぜられたもので任意性がないとの点を強調する。
よって審案するに、中井正治の検察官に対する供述調書、被告人の検察官に対する昭和四二年九月一二日付供述調書を総合すれば、被告人は本件の現金一万円を受け取った翌日、建設所事務所に昭和建材株式会社の社員中井正治を呼び右金一万円を同人に渡して大和屋における被告人と工藤庶務課長の個人的な飲食代金合計九千七、八百円を支払わせた事実が明かであり、被告人は当審公判廷においても右の事実はあえて争わないところである。されば被告人に右金一万円を収受する意思がなかったとか、これを返還したとか主張しうる筋合ではなく、本件に関するその余の被告人の自白調書、中井正治および三木五千江の検察官に対する各供述調書につき、その内容を相互に比照して仔細に検討し、証人青山栄一の原審公判廷における供述をも総合して考察するも、べつだん右各調書の証拠能力、証明力に疑をさしはさむ事由は見出しえないから、論旨は理由がない。
なお弁護人は、昭和建材株式会社関係の本件収受金品はいずれも当時の取引関係における社交的儀礼の範囲内で、違法に賄賂を収受したとは認められないと主張する。けれども、前記のとおり信用性ある関係各証拠によれば、本件の三千円の商品券および現金一万円はいずれも、被告人の原判示の職務に関する報酬として授受されたものであることが明白であって、単なる社交的儀礼による贈答であるとは認められないから、右の主張は採用できない。
第二被告人の控訴趣意について。
所論は要するに、吉田建材関係事実に関し、被告人の捜査官に対する自白は任意性がなく、鈴木邦夫の供述および証人木村通男の原審公判廷における供述も虚偽であって信用できず、これらを証拠として被告人を有罪とした原判決には事実誤認の違法がある、というに帰着し、その余の主張部分は単純に本件犯罪事実を否認しあるいは被告人の感想を告白するものである。
そして、とくに自白の任意性の点については、警察の取調に際し担当の警部補青山栄一が被告人に対し「このまま否認を続ければ未決に入れる、未決に入れば釈放はない、裁判は一年かかるか二年かかるか分らないが、手錠をかけて裁判所に通うのだ。」、「裁判が終った日にわれわれは裁判所の出口で手錠をもって待っている。再逮捕だ、そしてまたここに来るのだ。」などと脅迫して自白を強要し、また、被告人に対し鈴木邦夫の日記を示して、「四月二五日に大竹に三万円くれたと書いてある。もらわんというが証拠があるか、もう何を云ってもだめだ。」などと申し向けて、夜間九時、一〇時ごろまで取調を継続して自白を強制したもので、この取調状況に関する右青山警部補の原審公判廷における証言は虚偽であると強調するのである。
被告人としても、当審において吉田建材関係事実に関する自供調書の証拠能力を争うことは許されず、その理由は第一、一(6)において述べたとおりであるが、なお所論にかんがみ記録を調査して検討するに、証人青山栄一の原審公判廷における供述によれば、被告人に日記を示して取り調べたことはない、被告人の主張する如き脅迫または強制を用いた覚えはない、というのであり、その供述には必ずしも全面的に措信し難い部分もあるが、さらに証人阿久沢英夫の当審公判廷における供述、被告人の自供調書、鈴木供述、木村通男の検察官および司法警察員(謄本)に対する各供述調書等をも総合して認められる取調の状況、各関係者の供述の変遷の有無経過等に徴しても、所論の如き、被告人の自白の任意性信用性を疑わしめる事情はこれを窺いえない。被告人の当審公判廷における警察の取調状況に関する供述は信用できない。
鈴木供述の信用性が関係公訴事実を認定するに十分に堪えることはすでに詳細に検討したところであり、証人木村通男の原審公判廷における供述も、その内容を精査し、その余の関係証拠と対比して検討しても、とくに矛盾虚偽を含むものとは解せられず、十分措信するに値いすると考える。それゆえ、これらの証拠を重要な補強証拠とし、被告人の自白に基き本件各公訴事実と同一事実を認定した原判決には何ら事実誤認の違法はなく、論旨は理由がない。
以上に説示したとおり、本件控訴は理由がないこと明かであるから、刑事訴訟法第三九六条によりこれを棄却し、当審における訴訟費用は同法第一八一条第一項本文により被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する次第である。
(判事 吉川由己夫 判事 岡村治信 裁判長判事飯田一郎は転官のため署名押印することができない。判事 吉川由己夫)